富岡鉄斎 祇園會図扇子 共箱 (82歳)

¥330,000

作家名
富岡鉄斎

作品名
祇園會図扇子 共箱 (82歳)
紙本水墨

サイズ
本紙 巾16.4×46㎝ 柄長28.8

 

略歴
富岡鉄斎とみおかてっさい 1836-1924)
幕末〜大正期の南画家。
京都に生まれ、幼少より国学・漢学・詩学を学び、
さらに文人としての教養を高めるため画も独学しました。
幕末期には勤王の志士らと盛んに交流し国事に奔走、
維新後は大和石上神社・和泉大鳥神社等の宮司を務めました。
のち宮司を辞して京都に定住、読書と書画の制作に専念。
孤高を貫いた最後の文人画家と呼ばれます。

本作は飄逸なタッチで描かれた山鉾に
「曽呂利新左衛門が豊臣秀吉に奉った画を縮図する」と書き添えます。
曽呂利新左衛門作と伝承される山鉾の画を鉄斎が見て、
それを写したものということがわかります。

 曽呂利新左衛門は豊臣秀吉のお伽衆。
もとは堺で刀鞘作りを生業としていました。
腕前がたくみで、刀が「そろり」と鞘におさまったことから
曽呂利と称されたといいます。
頓知のきいた話術にたけ、機知とユーモアに富んだ数々のエピソードを残しています。

 「祇園会や せんぎ(僉議・詮議)まちまち引くの山」の句は、
祇園祭のクライマックス・山鉾巡行の際、くじ引きで決められた順番通りに巡行しているかどうか確認する「くじ改め」のことを詠んだものと考えられます。

 応仁の乱(1467-1477)により途絶えてしまった山鉾巡行が
京の町衆の手によって再興されたのは明応9年(1500)のこと。
その際、巡行の先頭を行こうと山鉾の先陣争いが絶えなかったため、
奉行のもとでくじ引きをして順番を決めるようになりました。
巡行の日、順番に間違いがないか関所で役人がくじを確認するのが「くじ改め」。
一基ごとにくじが検分され、その詮議を待つあいだ関所に足止めされた山鉾が、またゆっくりと挽かれてゆく。そんな様子を表した句でしょうか。

関所前にずらりと並んだ山鉾の壮観な眺めに、
「この鉾はああだ、あの山はこうだ」と見物客が批評し合う様子も現しているかもしれません。「まちまち」は待ち待ち、区々、町町など色々な意味に解釈でき、洒落も効いています。
ここでは曽呂利新左衛門の句とされていますが、
小林一茶の句に「ぎをん会やせんぎまちまちひく山ぞ」というものがあり、
句の作者に関しては何らかの混同が生じている可能性もあります。

 なお、この扇子は「書画皆宜扇 宮脇製」の透かしがあり、
京都の老舗扇子店・宮脇賣扇庵製であることがわかります。
鉄斎が「上々様にあげる京みやげ」と前書きするのは
親しい人への夏の贈り物という意味でしょうか。

 

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