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作家名日根対山作品名蛇図 絹本着色 北村百泉箱書サイズ本紙巾42.5×竪㎝ 総丈巾55.7×竪146.5㎝
[解説]野菊と撫子が可憐に咲く山道の端、ごつごつした岩に一匹の蛇が絡みついています。体に縦に通る縞模様に三角形の頭部や赤みかがった楕円形の目などの特徴から、日本の平地や低山地に多く生息するシマヘビでしょう。眼光鋭く睨みつける先には何か小さな生き物が潜んでいるのでしょうか。鱗の一枚まで写実的に捉えられた蛇と、没骨で柔らかく描かれた秋の草花がおもしろい対比をみせています。のちに文人画家として活躍する日根対山の若年期の珍しい作品です。「茅海」の款記に「茅海盛印」の朱印を捺します。[略歴]日根対山 (1813-1869 文化10-明治2)和泉国日根郡中庄村湊(現、泉佐野市湊)の村役人を務める家に生まれました。幕末期、京洛第一の画家として名を馳せた対山を語る上で欠かすことができないのが、同じ村出身の豪商で文人・国学者としても知られる里井浮丘(1799年-1866 寛政11 - 慶応2)の存在です。対山より15歳年上の浮丘は、幼い頃から画をよくした対山を可愛がり、秘蔵の中国絵画を臨模する機会を与えました。のちに対山が大坂で師事した岡田半江、京都で師事した貫名菘翁もまた浮丘の人脈によって知遇を得たものです。 里井浮丘は廻船問屋を営む里井治右衛門の四男として生まれ、家業を継ぎ廻船業を営み富を築く一方、学問を好み儒学・国学をおさめました。里井家の歴代が収集した中国の書画や珍しい書物を収めた浮丘の別邸「挟芳園」には京・大坂や各地から多くの文人墨客が訪れ、さながら文化サロンのような場所となっていました。記録には篠崎小竹、貫名菘翁、岡田半江、小田海遷、浦上春琴、中林竹洞、竹渓、小石玄瑞、広瀬旭荘などのそうそうたる顔ぶれが挟芳園を訪れたとあります。 本作の落款に入れる「茅海」の号は、浮丘が対山のために挟芳園の隣に設けた画室の名「茅海草堂」から取られたものです。天保13年(1842)岡田半江に入門するに先立って、対山はここでさまざまな作品を臨模し、訪れる文人たちから刺激を受けながら画技を磨きました。浮丘は自らの所蔵品だけでなく、他人の所蔵する逸品を観る機会や京坂で行われる書画の展観会にしばしば対山をともない、その才能を伸ばすための助力を惜しみませんでした。酒を好み、裏表のない豪放な性格で、時に問題を起こすことも多かったという対山にとって、浮丘はなくてはならない庇護者、パートナーであり、兄のような存在でもあったでしょう。 その後京に居を移した対山はやがて文人画家として頭角を顕し、多くの精細な山水画を残しました。梁川星巌や頼三樹三郎といった勤王家らと親交し、梁川星巌の肖像画も残しています。弟子にも恵まれ、明治南画壇で活躍した猪瀬東寧、女性初の帝室技芸員となった野口小蘋、教育家としても活躍した跡見花渓、のちに洋画家となる中丸金峯(精十郎)などの門人を育てました。 慶応2年、浮丘が68歳で亡くなった二年後の明治2年、対山は57歳で世を去りました。備考写真と印象が異なる場合がございます。店頭でも常時販売しておりますので売り切れる場合がございます。その場合ご注文をキャンセルさせて頂くことがございます。ご了承ください。
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