【掛軸】増山雪斎 芥子に猫図 紙本水墨淡彩

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作家名
増山雪斎

作品名
芥子に猫図 紙本水墨淡彩

サイズ
本紙巾46×87㎝ 総丈巾61×162


[略歴]
増山雪斎 (ましやま せっさい) (1754~1819 宝暦4~文政2)
伊勢長島藩第5代藩主。
諱は正賢、雪斎は号で、
ほかに巣丘隠人、石顛道人、顛々翁、君選、
括嚢小隠、玉園、潅園など多くの別号がある。
宝暦4年(1754)4代藩主増山正贇の長子として江戸に生まれる
安永5年(1776)父の死去にあたり、23歳で伊勢長島2万石の家督を相続。
享和元年(1801)、48歳で家督を長子正寧に譲って江戸巣鴨の下屋敷に退き、
自娯自適の生活に入った。
画は清の沈南蘋に私淑し、大名の余技を超えた精緻な花鳥画をよくした他、
書・詩文・囲碁・煎茶など文人のたしなみである諸芸に通じ、
周囲には身分の枠を超えた多くの文人墨客が集った。


[作品解説]
 大きな八重咲の薄紅色の花をつけた罌粟(けし)の傍で、
猫がのんびりと毛繕いをしています。
ペロリと舌を出し、満足げに目を閉じる表情は、
何か美味しいものでも食べた直後であることを思わせます。
一見ほのぼのとした場面にどこか妖しい空気が漂うのは、
芥子の妖しくくねった茎や野生味あふれる葉に、
普通の花鳥画とは異なるインパクトが感じられるからでしょうか。

 作者の増山雪斎(1754-1819)は伊勢長島藩第5代藩主。
諱は正賢、雪斎は号で、ほかに巣丘隠人、石顛道人、顛々翁などと号しました。
第4代藩主増山正贇の長子として江戸に生まれ、
23歳で伊勢長島2万石の家督を相続。
48歳をで隠居し、巣鴨の下屋敷での自娯自適の生活の中で
身近な生き物の写生に明け暮れました。

詩、書、画、囲碁、煎茶など
諸芸に秀でた風流人として尊敬を集めた雪斎ですが、
その中でも最も心を注いだのが画でした。
当時流行の沈南蘋流の花鳥画を得意としたほか、
『虫豸帖(ちゅうちじょう)』や『百鳥図』『草花写生図』などの
精緻で写実的な写生図譜を作成したことでも知られます。

 本図に描かれた猫も、
複雑なポーズを的確に描き出す雪斎の
写生のテクニックが発揮されています。

芥子はその姿の特徴から、
現在ではソムニフェルム種という種に分類される
薬用の罌粟の一種と考えられ、
この種の特徴である茎を抱き込む形の葉を克明に捉えるほか、
蕾・花・花後の芥子坊主と、
時間と共に変化する状態をひとつの画面に描き込むなど
本草学図譜的要素も感じられます。

雪斎は隠居後に昆虫や動植物の写生に精力を傾けましたが、
実際に屋敷の庭などでさまざまな植物を栽培していたと考えられます。

 本図には南蘋流の花鳥画にはお決まりの、
題材の持つ発音などから連想される吉祥の寓意も込められています。
猫も芥子も南蘋派の画にはしばしば登場するモチーフで、
猫は「耄」と同音で長寿を意味するほか、
ケシの「罌」と赤ん坊を意味する「嬰」、
それに「迎」が同音であるため、
子宝に恵まれる、といった意味があります。

しかしこの二つを組み合わせた画題はあまり見られません。

儒教の経典のひとつ、
『礼記』に、古代の君子が田畑を荒らす鼠を
捕えてくれる猫を迎え感謝して祭る「迎猫」という言葉が書かれています。
「罌」に「猫」が「迎猫」の語呂合わせだと考えると、
本図の満足げな猫の表情にも合点がゆきます。

雪斎は他にも同じようなトラ柄の猫を描いており、
「ネズミから本を守ってくれる虎だ」
というような自作の漢詩を賛しています。
ここに描かれた猫もまた、
大事な庭を獣から守ってくれる雪斎の愛猫だったのかもしれません。


備考
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